育児という「娯楽」

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ちょっと前のことだけど、臨月の友達と食事に行って、「今の日本で子供を産むということ」について考えを聞いた。

彼女の結論は、私にとってはかなり衝撃的だった。

「私は、『娯楽』と思って産むことにしたよ!」

曰く、「女は結婚して子供を産むもの」という暗黙の了解がなくなった今の日本では、子供を持つことは強要もされなければ、手放しに歓迎もされない、と。産むのも育てるのも「自己責任」で、会社や社会からはまるで「迷惑行為」みたいに扱われる、と。気が滅入るよね。だったらいっそ開き直って、「いや〜子供ほしくなっちゃってね、趣味で!ご迷惑おかけしますね〜!てへぺろ」くらいの気持ちでいこうということらしい。

そうか、趣味のために長期休暇をもらうなら、イヤミを言われても「ごめんなさいね〜ホント、自分の趣味のために」と素直に思えるし、「産まなきゃ」とかいうプレッシャーもない。趣味って自分が楽しむためのものだから、あんまり後ろめたさもなくなるかもね!

「…って、んなわけないやろ!」とは、私は笑えない。

妊娠報告をしたら、同僚の未婚女性に呼び出されて「この忙しい時に、何考えてるの?」と言われた知り合いの話。

東京の待機児童の話。

仕事で社会に認められてきた人が、子育てでキャリアを中断することの恐ろしさ。

金銭的な不安。

私個人としては、超少子高齢化が止まらない日本で、20年後成人となる子供たちは一体どれだけのものを背負わされることになるのか、という懸念もある。

あと、いつ誰に言っても引かれるんだけど、科学系ジャーナルの「地球も人類ももう長くない説」をわりと信じてるっていうのもある。

後半はまぁ置いといて…そういう諸々の悩み苦しみが、出産を考える女性とその伴侶の両肩に重くのしかかる。

それは多分、「産みたくても産めない『環境』」の問題、社会通念や社会制度の問題であるはずなのだ。けれど、産むなら今ここしかない私たちには、制度改革を待っているヒマなどない

だから、「産みたい、けど…」と思った時には、彼女みたいに自分自身の解釈を工夫して問題を解決するしかない

「産んで育てる」ことを本気で考える時、冷静と情熱、理性と本能、期待と不安、仕事とプライベート…色んな対立項が1人の人間を襲う。本来動物なら疑うべくもないその行為は、進化しすぎた人間にとって、随分ややこしい問題になってしまった。

「娯楽」だって?おかしな話だ。

だけど私は、これほど心を軽くしてくれる「解」に未だかつて出会ったことがない。

自分一人で今すぐには到底変えられそうもない、過剰に進化してしまった社会の在り方。自分を取りまく仕事、家族、少し先の未来。その中で「産みたい、育てたい」と思う気持ちを肯定してくれるのは、誰?

こんな万能の回答、ほかにありますか?