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滅びゆく地球とともに

思う存分暗くて自虐的な徒然を一つ。

街に出たり、スーパーに行ったり、ニュースを見ているだけで陰鬱な気分になることはないだろうか。これは、この間記事にした「憂鬱」とは別の気分を指しているのだけれど…。

私は思春期あたりからメランコリックな性格が形成されてきて、物事に対して基本的に悲観的な考え方をする。大人になってから知ったのだが、メランコリックというか鬱病の人の悲観的なものの見方というのは、鬱でない健常者の見方よりも冷静で客観的、的を射ているらしい。

『明日の幸せを科学する』という本の中にこんなくだりがあった。

たぶん 、コントロール幻想の一番奇妙な点は 、幻想が生じることではなく 、幻想するだけで真のコントロールがもつ心理学的な効用の多くが得られることだろう 。この幻想がほとんど生じないと思われる人の中に 、臨床的にうつの人たちがいる 。うつ病の人たちは 、自分のコントロールがおよぶ程度をほとんどの場面で正確に予測する傾向がある 。こうしたさまざまな知見から 、コントロールする感覚は 、現実のものも幻想のものも精神衛生の源の一つだと結論づける研究者もいる。

それが予測として正確でないとしても、楽観的で希望的な観測が人を健康な明日に導くらしい。

カラパイアでも似たような記事が上がっていたことがあった気がする。

あった

我々は来るべき現実を冷静に想像してしまうと精神的に病む好ましくない現実から目をそらすことで、辛うじて前向きに今日を生きている

このことを知ってから、自分の悲観が誇大妄想(?)ではないというおかしな自信が出てきて、憂鬱ながら生きるのが大分楽になった。何を「客観的」と呼ぶかはまたポモ的ポスコロ的な限界があるのだろうが、それは一先ず脇に置いておいて。

なんだ、人間はみんな冷静になれば鬱になるのか。

感動的なほど効率的な飼養過程を経て、同じく感動的なほど効率的な流れ作業で精肉されたであろうブラジル産の鳥モモ肉100g 98円を手に取る時に「人類は戻れないところまで生命倫理を破壊してしまった」と感じることも、「核戦争かパンデミックか何かで100年以内に地球は人間の住めない環境になるよ」というホーキング博士の言葉に「然もありなん」と頷くことも、グローバリズムという名の世界規模の搾取構造がもはや自然破壊や環境汚染レベルの計測を不能にしてしまっているという直観も、何もおかしいことではないのだ。

これまでの人類史を鑑みるに、いくら倫理の軽視を反省する人が出てきたところで資本主義の名を借りた欲望増長システムを解体することはできないし、止まらない列車の上で必死で足掻きもがいても地球崩壊は止められないわけだ。エコを叫びながら貴重な資源をタンマリ使った新商品をPRする企業は、増えることはあっても減ることはないだろう。

自分の描いてきた上記のような未来像ないし現代認識が、妄言ではなく鬱傾向ゆえの冷静な未来予測なのだと思えるようになり、考えることは何も変わらないのだが心が妙に落ち着きを見せてきた。

なるほど、私のディストピア妄想が冷静な予測なのだとすれば、地球はその起源時点から壮大な自滅シナリオのエピローグに向かって進み続けていたわけで、さらに言えば人類は(人類の恐ろしいまでの浅ましさは)、地球悲劇の元凶ではなくこのシナリオにおける単なるトリックスター、一演者に過ぎないのではないだろうか。

ここまで考えてようやく心は落ち着く。なんだ、恐れることはない。物語は昔からのシナリオ通りに進んでいるだけだ。胸締め付けられることはない、人間は単に破壊者の役割を背負わされただけだ、と。

いくら頭で世を儚んだところで自分一人では死ぬに死ねないさもしい似非ニヒリストは、こうしてなんとか生き長らえる言い訳を確保するのだ。実にバカバカしいと思う。

明るく役に立つことを書こうといつも思うのだけれど、結局こうして古巣に落ち着いている私です。ときどきはね。